乳がん

母の乳がん

2022年7月20日

「乳がん」と分かって、部屋に戻って一人で泣いた。
ステージ1でも死が身近に感じる。
母の乳がんを目の前で向き合い、なんて恐ろしい病気なんだと思ったし、こんなものと戦うのは私は無理だと思っていたから。


母はステージ4で、左胸は花咲乳がんという状態だった。骨転移、肺と肝臓に転移。リンパは首や、私が触ると鼠径部にもしこりがあった。
私と母は整体師。母は私に「癌患者の身体を触る機会はないんだから、私の身体で学べ」と、私は母の身体を触り施術してきた。背骨周辺は浮腫み、骨が変形して膨らんでいたので脆くなっていて触れなかった。
いくら施術をしても変わらず、変わるはずがない。癌なんて私には無理だ。
心が折れそうになったが「私が諦めたら母も諦めてしまう」と続けた。

ハーブや色々なものを試した。
正直、癌患者を餌にしたサプリメント会社もあり、母は飲んでも治るはずがない高いサプリを沢山買っていた。
そういった方々が母を病院に行くという選択を消させていた。
そういったものを全部やめさせた。

医師から、手術をして背骨に金具を入れて補強する手術を提案されて検査を受けたが、背骨が全てボロボロで手術も出来なかった。
その状態から2年のホルモン治療で、まず肺と肝臓の転移が消え、骨転移も消えてきて歩けるようになり、左胸は乳首は無くなったが綺麗になって医師もびっくりしていた。
もう、大丈夫かと思った。
でも母は「がんとは一生付き合っていかないといけない」と言っていた。


2020年の秋、母は突然脳梗塞を起こして入院し、退院してきた時には左胸は2年前の状態に戻っていた。田舎なので病院もそれほどない。近くの救急病院は脳外科が無いので内科が対応していたし、脳梗塞の治療のみで癌の治療はされなかった。
そして、救急病院なので脳梗塞が落ち着くと退院しなければならなかった。
乳がんと脳梗塞。入院させてくれる病院が無く、48時間の点滴を自宅でやりながら乳腺クリニックに通った。
大雪の中、1日おきに看護師が来るので父と一日に何度も雪かきをした。

元気が無く、どんどん喋らなくなる母・・・。
体調が悪いのかと聞いても「大丈夫」と言う。
ある日「息が苦しい」と教えてくれ、直ぐに緊急入院し、肺と心臓に水が溜まっていると言われた。
コロナで面会も出来ず、病院からの連絡を待つだけ。
呼ばれた時は、医師からもう母が長くない事を告げられ、母に会えた時はほとんど喋れない状態だった。


亡くなった母のスマホの写真には、脳梗塞で最初に入院した時に撮ったんだろう・・・皮膚から赤い突起が出てくる画像が何枚か残されていた。
母はどんなに悔しかったか。
その画像を見た時、まるで私たちをあざ笑うかのように再発した癌が恐ろしかった。
こいつは、消えもせず再び出てくる機会を狙ってたんだ。母が脳梗塞で弱った隙に出てきたんだ・・・。








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